こんにちは!
私 伊藤幸一の自己紹介および略歴をご紹介します。
生年月日 1970年2月20日生まれ(長嶋茂雄、志村けんと一緒)
血液型 O型
趣味 スキー、ジム通い とにかく体を動かすことが好きで二日に1度は何かしら体を動かしてます。
モットー 信頼第一 仲間を大事に がんがんいこうぜ
略歴
1970年2月20日に川崎市中原区に生まれてこのかたずっと同じ場所に住み続けています。唯一引っ越したのは家を建て直すために一時的に隣の駅のアパートに3か月間だけ住んだだけ。小学校は普通に地元の学校に行きましたが中学からは受験して日本大学中学校へ。最寄駅は日吉です。高校はエスカレータ式に同じ場所にある日本大学高等学校へ。大学もそのまま日本大学経済学部へ。順調に卒業し某建設仮設資材のリース会社に就職し営業として5年半勤務。景気が悪くなり会社の業績も悪化し、28歳の時に某外資系生命保険会社に勤務。5年後(33歳の時)、生命保険20社を扱う代理店へ移籍。45歳の時、合同会社 コンシェルジュマネージメントを設立。
ではなぜこのようなお金で稼ぐという考えに至ったかを私の略歴とともに紹介して行きます。
伊藤幸一がライフコンサルタントとして活動している理由
きっかけは某外資系生命保険会社に入社した事から始まります。
私は22歳で建設用仮設資材のリース会社に営業社員として入社しました。その時点ではまだお金で稼ぐという考え、手段ももちあわせておらず毎月の給料の5万円を財形貯蓄、残りを普通口座にて貯蓄してました。当時(1993年前後)だと今よりは金利は高い(1993年 定期預金金利 2.22%)とはいえやはりお金に稼いでもらうという域までは達していませんでした。そんな私に転職のきっかけが来ました。バブルの崩壊とともに私が勤めていた会社の財務体質が悪化し、本来の売り上げ基盤であるリースする在庫自体が購入出来ない状況になりました。当時、会社内の営業でもトップクラスの数字を出していた私にとってはとても大きな大打撃でした。つまりは営業して受注すればする程、お客様にはリースする在庫が不足し、クレームだけが増えていくという悪循環でした。むしろ営業しないほうが良いなんて。自分のやっている事は何なのか?お客様に貢献するどころか迷惑ばかり掛けている。
そんな折に某外資系生命保険会社の採用担当からヘッドハンティングの話が舞い込みました。仕事の内容は日本の生命保険会社手動の販売を根本的に変えてお客様からのヒアリングを元にお客様主体の生命保険販売を行うというものでした。在庫不足によりお客様に迷惑を掛けて落ち込んでいた私にとって生命保険の販売は在庫切れがまずないという事が大きいように思えました。販売するのは生命保険であり、商品は保険証券、つまりは紙です。在庫の心配を考えずに思いっきり営業が出来るだけでも当時の私にとっては有難い状況でした。
そしてこのリクルートを受けて転職する事にしました。これが後にお金で稼ぐという発想を植えつけるきっかけになろうとは。転職した年齢は28歳、つまりは最初に勤めた会社から5年が経過した時でした。最初の3ヶ月で研修を終えて4ヶ月目から生命保険の募集を開始したのですが入社して6ヶ月目の時に数ヶ月先に入社した先輩から驚く情報を入手しました。
当初私が聞いていたのは基本給35万円+歩合、この歩合給に関しては2年をかけて徐々に減らされて行き、2年後には無くなるという説明を受けていました。つまりは2年間でお客さんを集めて収入の基盤を作り上げて行けば良いというシステムでした。ところが!!!
先輩曰く6ヶ月の間で決められたノルマを越えていないと基本給部分が永久にカットされるというもの。基本給部分がカットになるということは大した基盤収入も無くそれ以降の生活費・営業活動費をそれで過ごして行かなくてはならないという事。営業活動費については交通費・接待交際費・携帯電話代も自腹なので必然的に辞めざるを得ない。そんな大事な情報を知らされずにヘッドハンティングされたことに憤りを感じた私はリクルートした所長になんで教えてくれなかったのかを訪ねました。そこで返ってきた言葉は・・・
《伊藤さんなら出来るでしょ?》
愕然とすると同時に目の前が真っ暗になったのを覚えています。
今考えるとお金で稼ぐ手段を考えるきっかけがこの時期だったと思います。ちなみに先程のシステムを詳しく述べますと入社後6ヶ月で査定があり、その後は1カ月おきに過去3ヶ月の数字がノルマに達しなかった時点で基本給はカットとなります。つまりは1カ月おきにノルマがやってくるという事です。お金で稼ぐどころか自分が後ろから来る死神につかまらない為に必死で走り続けないと行けないという状況が続き、何とかノルマをクリアして3年程経過した時点でまたもや激震が!!!
某外資系保険会社の方針で過去3ヶ月でノルマをクリア出来なかった場合はクリア出来なかった集団の席が用意されており、まさに島流し状態。さらに翌月も数字をクリア出来なければ強制的にクビ!!!
聞いてないよぉぉぉぉぉ!!!!
と叫んでも会社の方針なのでの一言。さすがは外資系、やることがエグイ。ちなみに島流しに合うとみんなから哀れみの目と好奇な目に容赦なく晒される。そしてその島流しの席からひとり、またひとりといなくなって行く。つまりは首である。基本給カットの悪夢からようやく逃れたと思ったら今度はさらに厳しい首の恐怖が待ち受けていようとは・・・
お金で稼ぐどころかそのお金自体が目減りしていってしまう。それ以降毎月首になる恐怖に耐えつつもなんとか乗り切り、この会社に入社して5年が経過した時にまさか更なる試練が待ち受けていようとは・・・
それは法人の契約も取れ始めて少し光が差し始めた時でした。社長直々に我々生命保険募集人全員に対して話す事があるということで当時300人くらいの募集人が大きな会場に集められました。そこで語られたのは・・・
うちの会社の当初の目標は個人の保険を中心に契約保険料を増やしていくはずだったが実態は法人の保険料が全体の保険料の大半を占めているというもの。で、つまりは会社の当初の目標とは違う方向に向かっていると。そしてそのあとにバルスを超える強烈な一言。
うちの会社はこの生命保険募集部門を撤退します
一瞬何を言ってるのかわからなかった。少ししてから300人のざわめきが。つまりはうちら300人は2か月後位から強制的に職を失うというもの。外資系は厳しいというがこれは厳しいどころか今なら明らかに違法。補償は今まで顧客にしたコミッションを引き継げるというもの。また、入社して間もない募集人にはそれ以降に支払われるはずの基本給が一括で支払われるというもの。退職金や違約金は一切なし!!一番可哀そうなのはこの会社に入社が決まり、勤めていた会社に退職届を出してこれからという時期にこの事態となってしまった人。この人には一切のお金の補償はなく、ただ単に退職届を出しただけという本当に血も涙もない措置。
この会社に入ってからの5年間、厳しい目にあった事がお金で稼ぐことを決意させた大きなきっかけとなったのは言うまでもない。
強制退職勧告によって私は生命保険の代理店に入社することを決意しました。以前は1社の生命保険しか募集できませんでしたが20社の生命保険会社の契約を仲介出来るようになりました。完全な個人事業ですので経費は交通費から何から何まで自己負担。とはいえノルマはありませんので以前のように毎月首になる恐怖からは逃れることが出来ました。首になる恐怖から逃れると非常に精神的に安定・安心した記憶があります。そして気持ちの余裕がお金で稼ぐという具体的な道に向かわせる発想と行動を産み出しました。さてようやくお金で稼ぐ具体的な行動までもう一歩まで来ました。代理店となって1年後、親しくしてもらっていた私の兄のような存在でもあり経営者でもある方から大きな法人保険を契約して頂きました。この契約が私のお金で稼ぐ一歩になりました。某外資系に勤めていた間、毎月報酬が変動する経験と会社の方針に右往左往させられていた私はこの報酬を元に収入を安定すべく不動産投資の第一歩、お金で稼ぐ第一歩を踏み出しました。
栄えある第一歩目は私が32歳の時、六本木のワンルームマンションでした。元々のオーナーは社長の2代目で資産を食いつぶしていくタイプの方で現金で購入することを条件に格安で購入することが出来ました。私と友人で800万円の現金を持って不動産会社に向かったのは今でもはっきり覚えています。
お金で稼ぐ不動産物件1号
購入時期 34歳(平成16年10月)
物件情報 所在地 六本木
購入価格 780万円(現金購入)
家賃 10万円
表面利回り 15%
実質利回り 10%
2件目は翌年平成17年6月に購入。
今回はさすがに現金で購入できない為、某金融機関から990万円の融資を受けました。
購入時期 35歳(平成17年6月)
物件情報 所在地 田町
購入価格 1280万円(借入金 990万円)
家賃 12万円
表面利回り 11.2%
実質利回り 9.4%
3件目はさらに翌年の平成18年
またも融資で900万円借り入れして購入しました。
購入時期 36歳(平成18年4月)
物件情報 所在地 六本木
購入価格 1000万円(借入金 900万円)
家賃 11万円
表面利回り 13.2%
実質利回り 10.4%
上記2物件につきまして金融機関からの借り入れをしましたが融資実行できた大きな要素としては最初に購入した物件を現金で購入したという事が大きいです。
金融機関は不動産を担保に入れる事で借り入れがしやすくなりますので最初の物件を現金で購入できた事が2件目、3件目の融資をスムーズに受けられた大きな要素になります。
そして六本木の物件購入の手続きが終わるのもつかの間、六本木の物件を売ってくれたオーナーよりもう一件購入して欲しいとの打診がありました。渋谷の物件でぜひ私に購入して欲しいとの事。どうやら大金をやり取りするので信頼できる人と契約したいらしい。六本木の物件を購入した直後で資金が枯渇していたので迷っていると、本来なら1200万円で売りたいのだが伊藤さんはいくらくらいなら購入しますか?との質問が。1000万円くらいなら…と言ってみた所、では1000万円でいいですよ。との回答が。時間にして数秒で200万円の値下げに成功しました。
購入時期 36歳(平成18年4月)
物件情報 所在地 渋谷
購入価格 1000万円(借入金 700万円)
家賃 10万円
表面利回り 12%
実質利回り 9.6%
さて3物件を銀行からの借入金で購入した為、これ以上借り入れて物件を購入するのはリスクが大きいと判断した私はそれから6年間不動産物件の購入を控えました。6年間経過した時には家賃収入が貯まっていた為、物件を現金で購入することが出来ました。
購入時期 42歳(平成24年2月)
物件情報 所在地 神谷町
購入価格 830万円
家賃 67,500円
表面利回り 9.7%
実質利回り 7.3%
1年後にそれまで購入を控えていたのが嘘の様に物件を購入しました。このときには借入金を返済した物件も出ていた為、気が付けば口座にお金が貯まっているというまさに金持ち父さんの初期状態までようやく辿り着く事が出来ました。
購入時期 43歳(平成25年5月)
物件情報 所在地 六本木
購入価格 1100万円
家賃 83,000円
表面利回り 9.0%
実質利回り 7.2%
さて、ここで私は不動産物件とはまた違う方向性の投資を2年後にすることとなりました。売電収入に目を付けました。
7/18のKFPでの講演を聞かせていただいた原田剛と申します。
今まで不動産投資というと、ちょっとドロドロした部分があるようで、また海千山千のテクニックをお持ちの様な方が多くおられるようで、「危ない投資」という意識が働き、まったく興味が無かったのですが、お話を伺った範囲では、リスクはあるが適切に対処すれば問題ない。ということがわかりました。
また、なんにでも時流というのがあります。講演の中でお話しされていたように、今はその時期ではない。ということが伝わるのもいいですね。無理に煽って・・・というのはちょっと怖いですが、そういう両方の視点で、自分で見極めていく。というのがどんな投資でも重要だと思います。
すぐに不動産投資ということでもないですが、いろいろな投資先の一つとして見られるようになったかもしれません。
また、今が一番元気かもしれない東京を見るのに神奈川のはずれの秦野からではどうしても遠いので、2-3年東京に住む住まいをさがすのもいいかと思っています。これからもご活躍を祈念しております。